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鳥取地方裁判所 昭和55年(ワ)152号 判決 1982年9月16日

原告

尼子剛

原告

有限会社尼子不動産

右代表者

尼子啓美

原告両名訴訟代理人

前田修

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

笹村将文

外四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1、2の(一)ないし(三)、(四)の(1)、(六)の(1)、(八)(原告会社の宅地造成事業、全土地、本件土地の位置、形状、全土地の転売関係等)、3(本件被告事件の起訴、公訴事実)、4(免訴の判決)の各事実は当事者間に争いがない。

二1  ところで本件被告事件については、その不動産侵奪罪の既遂時期が昭和四五年九月六日以前であれば公訴時効が完成することになるが、被告らは、検察官(被告藤井)が右既遂時期を昭和四六年以降であると判断して公訴提起をしたと主張し、<証拠>によると、かかる判断により本件の公訴提起をしたことが認められる。

2  ところで、公訴の提起は、公訴事実につき、有罪判決を得る合理的可能性がある場合でなければなすべきでない。もし、該事実につき公訴時効が完成しており、免訴事由があれば、公訴権は消滅しているのであるから、該事実につき訴追して実体審理を求めることは許されない。したがつて、公訴提起が違法であるというためには、担当検察官であつた被告藤井の証拠の評価や法令の解釈の結果、公訴時効が完成していないと判断したことが通常の個人差を考慮に入れてもなお行き過ぎで、経験則、論理則に照して合理性を肯定することができない場合でなければならない。

3  そこで公訴提起時における検察官の手持証拠により認定できる事実関係及び検察官の不動産侵奪罪の既遂時期についての法律の解釈、適用に関して、通常の検察官に要求される法律的知識に従つた合理的な判断であつたか否かについて検討する。

(一)(1)  <証拠>によると、公訴提起前に被告藤井の手元にあつた証拠書類である森下善雄(昭和五二年七月二五日付)、角森正夫(同年六月二三日付)、青戸末知(同月八日付)の検察官に対する各供述調書には被告らの主張3の事実のとおりの記載があることが認められる。

(2)  次に<証拠>によれば、福島安夫の検察官に対する昭和五二年七月二二日付供述調書には、「有限会社米子重機は原告会社から、前後三回にわたり全土地の埋立工事等を請け負い、昭和四四年九月ころ着工し、長山の岩石を爆破させ、法勝寺川の西岸寄りに岩石が崩れ落ち、同河川との境界が不明であつた。全土地のうち隣接する県道側、同河川側の埋立工事、整地工事の約定の竣工期が昭和四五年九月三〇日であつた」との趣旨の記載があることが認められる。

(3)  さらに<証拠>によると、福島安夫の司法警察員に対する昭和五二年三月二四日付供述調書には、「全土地の埋立整地工事のうち最後まで残されたのは、本件土地周辺である」との趣旨の記載があることが認められる。

(4)  <証拠>によると、吉田豊の検察官に対する昭和五二年七月二八日付供述調書には、「昭和四五年五、六月ころ全土地内の桐ノ木用水路の暗渠の一か所が陥没し、その周辺の土地上には土砂が盛り上つていた。当時その周囲は、まだ整地されておらず、地面はでこぼこで、長山は削られていたが平地の状況ではなく、まだ丘のように高く盛り上つていた状況であり、埋立工事の途中といつた感じであつた。」との趣旨の部分があることが認められる。

(5)  さらに前掲の各証拠によると、森下善雄は全土地内の土地の埋立工事の請負人であり、角森正夫は鳥取県都市開発米子事業所に勤務していた職員であり、青戸末知は林原開発株式会社が原告会社から全土地を購入したとき関与した者であり、かつ有限会社米子重機の代表取締役であること、吉田豊は桐ノ木用水路等の維持管理にあたる長砂水利組合の組合長であつたことが認められる。

(6)  前掲の各証拠によると、本件被告事件の捜査の端緒は昭和五二年一月二六日鳥取地方検察庁米子支部検察官に対する青戸末知からの告発であつたこと、当時すでに全土地は宅地造成が完了し、宅地が分譲されていた状況にあつたことが認められる。

(二)(1)  前記の各供述調書によれば、被告藤井が、次の事実すなわち、全土地の埋立整地工事の進行過程については、長山の土砂岩石を削り取り、これをその東方と北方の低地に搬入し、全土地を平坦な宅地に造成すること、造成工事の順序は長山を中心として順次その周辺に進み、本件土地は全土地の東北隅辺りにあたるため最後になつたこと、本件土地の東方にはほぼ南北に貫流する法勝寺川が存在し、少なくとも本件土地の東側(長さ約一〇〇メートル)すなわち同河川の西岸に護岸工事を施行する必要があつたこと、その護岸工事の構造規模は、コソクリート製ブロックを本件土地の表面の高さまで積み上げる必要があつたこと、検察官の公訴提起日の昭和五二年九月六日の七年前である昭和四五年九月六日当時、本件土地の大半の部分上に、長山から埋立用の土砂、岩石等が押し込まれていたが、右護岸工事、県道の法面の土羽工事がなされておらず、右の土砂、岩石等は河川岸、県道端まで達しておらず、しかも本件土地の地表面は整地されておらず、かなりの高低の差があつたこと等の諸事実を認定したことには合理的な根拠があつたものということができる。

(2)  前記の検察官の手元の各供述調書及び記載内容、並びに各供述人の本件の宅地造成工事についての関係等を考慮すると、被告藤井が収集した証拠以外に収集すべきであつた証拠がほかにもあつたものということはできず、本件の全証拠をもつてしても、そのような証拠があつたものと認めることはできない。

(三)  公訴提起時に認定した前記のような事実関係のもとで、検察官(被告藤井)が不動産侵奪罪の既遂時期についてのどのような法律的見解をもつていたのかについてみてみる。

(1) <証拠>によると検察官(被告藤井)は公訴提起の時点で前記事実関係のもとでは、他人の土地を取り込んで行う宅地造成の場合の不動産侵奪罪の既遂時期に関し、ブロック積み護岸が築かれ、整地がなされた時点と考えていたことが認められる。

(2) ところで、不動産侵奪罪の既遂時期は「不動産に対する現実的支配を取得した時」と一般的に解釈されているが、具体的事案にあてはめて、その既遂時期を認定することは必ずしも容易であるということはできない。

(3) 特に前記の事実関係を前提とすると、全土地の面積が広く、本件土地の面積は全土地の約七パーセントにすぎず、しかも本件土地の東側は約一〇〇メートルにわたつて法勝寺川に接していたため、不動産侵奪罪の既遂時期を確定するためには侵奪された土地の範囲を特定することが肝要であつたが、昭和四五年九月六日当時本件土地の東側辺りの埋立がなされておらず、侵奪された土地の範囲が明確に認定できなかつたものと推認できる。しかも、盛土だけの段階では、何人の立入りも自由とされるうえ、盛土だけでは占有関係の変更を外部に対して明示するものとはいえず、したがつて、盛土自体からは管理者の管理の妨げとなつた事情もみあたらないから、本件事案において検察官がブロック積み護岸が築かれ整地が完了した時既遂に達するとした見解も通常の検察官なら採りうる合理的範囲内にあつたものと認められる。

(四)  以上認定のとおり、起訴時における不動産侵奪罪の既遂時期に関する検察官の事実の認定及び法令の解釈適用は通常の検察官として採りうる合理的範囲内のものということができ、公訴時効がまだ完成していないとして公訴提起した検察官の判断は相当であつたということができる。

三公権力の行使に当る公務員の職務行為に基づぐ損害については、国又は公共団体が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた公務員は被害者に対し、直接、損害賠償責任を負わないものと解すべきである。

四そうすると、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(鹿山春男 豊永格 香山忠志)

別紙<省略>

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